311、あの日あの時
シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテルにいました。
曲線の美しいホテルです、ディズニーランドの真裏にある。
ある団体の晴れやかなセレモニーに参加しての帰る直前の出来事です。
ゲストの湯川れい子さんの素敵なスピーチを聴いた後でもありました。
彼女の一番の話題は、「ブエノスアイレスの空港で足止めをくらい怒り狂う乗客たちを鎮めるため、その場に居合わせたシンディ・ローパーが「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」を即興で歌い、乗客たちの怒りを収め楽しませた」というエピソードを湯川れい子さんがTwitterで拡散して人の絆を呼びかけたことでの人々の絆のことです。
人の絆、そして自分の仕事で自信と責任をもって発言すること、発表し続けることが未来を作る・・・スピーチのテーマでした。
このシンディー・ローパーの話題、これは311のわずか2日前、3月9日の出来事。
そして彼女は最後にこのように締めくくり会場を後にしました。
「今日、来日するシンディー・ローパーを今から成田に大急ぎで迎えに行くの、あの時のことの素晴らしさを直接お礼が言えるわ」と。
シンディー・ローパーは当初は午後3時半に成田空港着の予定が空港封鎖を受け、いったん横田基地に着陸し午後10時頃、羽田空港へ。渋滞のため都内のホテルに着いたのは12日午前4時半だったそうです。
その後、最後の大阪公演まで日の丸を背負って熱唱、歌うことで生きる希望を伝えてくれたこと、チャリティ活動のことは大きく報道されました。
揺れ
僕を始めとする来賓の面々が会場を後にして廊下を歩いているときに、最初の揺れに襲われました。
ものすごく大きく、でもゆっくりとした揺れ。
周りにいた仲間皆が、これは絶対に関東大震災が来たと思ったほどの揺れです。
上からガラスが降ってこないことを確認してすぐにホテルの前庭に退避しました。
続々と大勢の人が屋外に飛び出してきます。
美しい曲線のホテルがプリンのように波打って揺れているのが見えます。
前庭の滝の水がアトラクションの大波のように左右に飛び散り空を舞う・・・
気持ち悪いほど足元が動きます。
ホテルの名誉のために敢えて書きますが、このホテルは堅牢な造りで、地下に駐車場があり僕の車も駐車していましたが液状化はありませんでしたし、また、被災した利用者へのサービスも一流であったことを明記しておきます。
津波
携帯電話の情報で東北が震源地であること、津波の危険性があることをすぐに知りました。
取り急ぎ、自分は無事であることを家族にメールもして。
その時、目の前に飛び出していらした初めてお会いする中年のご婦人は、現代の利器をお持ちでなかった。
僕が携帯の画面をお見せして状況をお知らせ・・・
その状況下で刻々と津波警報の水位の高さが上がって行きました。
あっという間に10メートル以上の警報に!
そのご婦人は高齢のお父様を一人、青森県の八戸に残してきたとのことで、とても心配されていました。
でも、もう僕の携帯はお貸ししても通話もメールもつながらない状況に・・・
その時一番頭をよぎったことは今いる場所の安全でした。
10メートル以上の津波・・・ここはわずか海抜1から2メートくらいの場所・・・
ひとたまりもありません、いざとなったらホテルの最上階に走るしか無いのです。
また、この場所が新しい埋立地であり、液状化の心配があることも承知していました。
繰り返し襲ってくる巨大な余震に不安は募ります。
屋外に避難している利用者たちにホテルが毛布を配り始めました。
そして館内点検の結果、安全が確認されたとのことで全員が館内に退避しました。
利用グループごとに廊下やロビーなどの分散しての退避の始まりです。
夜になり、ワンディッシュの夕食が大広間で支給され始めました。
ロビーの公衆電話は生きています。
たくさんの人が国内外へ安否を知らせるために行列していました。
僕の友人も公衆電話で奥さんとお母さんに連絡が取れました。
コーヒーやその他の飲み物もロビーで振舞われて、
ロビーなど共用空間は全て公平に解放されていました。
何台もの大画面のテレビが被災地の惨状を徐々に伝え始めて、皆が釘付けになりました。
そして・・・幾度と無く押し寄せる大きな余震に不安な気持ちを抱えた長い夜の始まりでした。
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ホテルの前庭に退避した利用客 |
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311の月
何事もなかったような宇宙の営みの姿が枝の彼方に広がり
不思議な感覚にとらわれる一瞬でした。 |
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ホテルの裏の道路の311夕景
路面が液状化して泥水で覆われ
街路灯は根元から傾き
堤防とその上の道路は波打っています
モノレールの橋脚の被害は
この時点では確認できませんでした |
趣味であるカメラを何かしらいつも持ち歩いている僕ですが
この日はあえて持って行かなかったのです。
その理由は
セレモニーでの人とのコミュニケーションに時間を少しでも多く費やしたかったから。
ですから、ケータイのカメラでの記録となりました。
被災地で被災された方々
そしてご親族や関係者の方々に、心からお祈り申し上げます。
本日5月22日、ようやくこの日のことを書く気になれました。